IE9ピン留め

”何も伝えたいものがない”でもいい

アンディ・ウォーホルの死後に彼についての色々な人のインタビューをまとめたというドキュメンタリー映画を随分前に見たんですが(なんというタイトルだったか忘れてしまい、調べても確信が持てませんでした。)、その中で本人の映像で作品の意味について尋ねられて「何もないよ。伝えたいものは何もないんだ」と言いきっていたのを見て衝撃を受けました。
この映画では、ウォーホルについてにこやかに肯定的に笑いながら話してくれているのは親戚のおばあちゃん達だけで、他の人達はやや批判的というか、少し距離を置いたような言い方をしていたのも印象的でした。

それはともかく、そんな事ってあっていいのかというのが目からウロコで。
作品には必ずテーマや伝えたいものがあって、個性がなくてはいけないと思いこんでいました。

その後、テレビで写真家達の対談の番組を見ていて、一人の写真家が「極力、個性をなくしたい(誰が撮ったかとかクセのようなものが出て欲しくない)」というような事を言っていて、それで、ああ、それでもいいんだと納得しました。
でも個性をなくしても写真を撮る事はやめなかったからこそ、そういう風に個性をなくしながら撮るという個性?を得たわけですから、そこはやっぱり写真が好きという情熱と努力だったのだな、と思います。

自分もそんな風に柔軟に考えていられればなあと思ったのです。
ああ、自分には何も伝えたい事がないんだなと気付いた時、これが平凡な人間て事なのかなと思ったんですけど、ある意味私は人生に満ち足りていたのかもしれません。
今思えばなんですけど、たぶん幸せに生きていたのだと思います。
それ以上、勝ち取りたいとか何か渇望のようなものがなかったんだろうな。
自信がなかったとも言えるのかもしれません。
でもそんな風に色々と振り返っていたら、自分も個性をなくして何かを描けるんじゃーないだろうか、なんて思えてきました。
気に入るものが描けないな、なんてよく思うんですけど、そんな事っていつまでたっても満足はしないものなのかもしれませんね。
そういった果てしなさのような、底なし沼のような所へ向かって努力しなきゃいけないのかと思うと嫌気がさしてしまうんですが。
こう書いてしまうと、なんて簡単で単純な事に気付かなかったのか、と思います。

# by wani-eigo | 2011-08-22 23:36 | その他雑記

マッケに釣られてマルクにハマる

クレー展にぐずぐずして行かないで終わってしまった時、この記事(「カンディンスキーと青騎士」展のスタッフのニュース兼絵の紹介等のブログのようなものhttp://www.artm.pref.hyogo.jp/diary/t1104/index.html#a0430)を読んだのをきっかけに、「カンディンスキーと青騎士」展に行ってきました。
マッケがこんな風に紹介されている!しかも6点も来ている!と大興奮で行ってきたわけなんです。
とにかく好きだってのもありますが、展覧会の中であっこれはいい…と思ったらマッケの絵だった時の衝撃でますます好きになりました。何かすごくツボに入っているんだろうなと思います。人生初生マッケでした(たぶん)。
しかも「遊歩道」という代表作まであって、人も少なかったので、こんなにのんびり見ていいのかというくらいのんびり見られまして、椅子もあったのでそれに座ってゆっくりぼーっと眺めるという、贅沢なことまで出来てなんかもう夢の中のようでした。
肖像画もすごく良かったし、ああ、この人はやっぱり天才だったと思いました。
見れば見るほどなんだかジワジワときます。

カンディスキーと恋人ミュンターさんの絵ももちろん良かったんですが、この展覧会の中で私はフランツ・マルクにも、”ど”衝撃を受けました。
パッと見た時は、雑な感じで大雑把なぼんやりとしたものに見えても、ちょっと離れて見るとあっと思い、グワッと飛び出してきたのです。これは不思議で感動でした。
順番に見て行くと、「薄明かりのなかの鹿」がまず出てきて、ぼや~っとしてパッとしない感じが、ちょっと離れて見直すと、薄明かりの草原で草を食む鹿、これをこのちょっと上から遠くから画家が見たんだ!(かどうかは分かりませんけども)とその風景が浮かんできました。
次に牛、虎とあったんですが、牛はすごく躍動的で、もうこの配置以外なにもないだろうというしっくり感、こちらも見れば見るほどという絵でした。大雑把に見えてすごく緻密に組み立てられた絵という気がします。
虎は、近くで見るとカンヴァスの布目が荒々しく見えて、明るい黄色の上にちょっと暗い黄色が薄く重ねられていました。
汚れのように唐突にのせられて見えた黒が、全体をグッと引き締め、それぞれの色を浮かび上がらせ、虎の背中の黄色がもう輝くばかりでした。
このマルクもマッケも戦争で亡くなってしまいますが、本当に惜しい。
ああー…。
生きていたらきっと、特にマルクは知らない人はいないような人物になっていただろうに。

ところで、この展示品の中に写真がけっこうあったんですが、それが面白かったです。
皆、楽しそうに写っていて、幸せそうでした。
マッケがおふざけか本気か分かりませんが、アートの苗に水をやるとかなんとかいうタイトルで、植木鉢に枝を入れて、そこへジョウロで水をかける真似をしているという写真が。
他にも奥さんと子供と一緒に写ってるものもあり、マッケとマルクはすごく優しげな感じでした。
カンディンスキーはもっと画家!という近寄りがたいような、神経質そうな、絵になる人でした。
その恋人のミュンターは、ちょっと控えめそうな(時代でしょうかね)人の良さそうな感じで、それぞれ絵と人柄が見れば納得という所がやっぱり出るんだなあと思いました。

# by wani-eigo | 2011-05-22 12:45 | その他雑記

魔法少女の感想

魔法少女まどか☆マギカ、終わりましたー。
惜しい!惜しかったー!と最初はそう思ったんですが…書いてる間に変わってきました。以下そのまま。

ちょっとあの終わり方は、がっかり、まではいかないけど、ちょっと拍子抜けという感じです。
11話まではうおおおお、で12話はうーん・・・。

いや、勝手に期待してたんですけど、私はあれは「奇跡全否定」アニメなんだと思ってたんです。
要するに「若いうちはよわっちょろくていいんだよ」「奇跡なんてすごいものを期待しないで、地に足付けて出来る事をやればいいんだよ」ってことがやりたいんだと勝手に思っちゃったんですよね…。

だから、まどかがすごいパワーを持った時ってのは、そういう純粋さって大事なんだよって言っているんだと思ってすごくいいなあと思っていたんですけど、ほむらちゃんの愛パワー(?)いや繰り返す事が原因ということで、12話(最終話)で青い子(さやか)が結局消えちゃうのは、えええー!だなあと思いまして。

というのも、あの幼馴染のバイオリン弾きの男の子は、弾けなくなった自分を認めて、現実的に乗り越えていくことが健全な明るい未来なんだと思うんですよ。
そこを支えているさやかの優しさとかに気付かなきゃいけないんだと思うんですよ。ぐぐぐぐぐ(力む)。恋愛感情を持つかどうかは別にしても、あんな風に八つ当たりしてたのに、奇跡の力の結果だけもらっちゃってってのはなあ…。
だから、まあそれじゃあさやかは魔法少女にならなくなっちゃうわけですが、なんだかなー。

一周まわって普通の魔法少女ものになる、という大変回りくどい結末へやってきたわけで、歴史が変わっちゃうほどならせめてあのメイン4人は魔法少女にならずに終わっちゃっても良かったんじゃないか、なんて思ってしまいます。

結果的にまどかとさやかの2人が自己犠牲で終わってしまうというのも、それで終わっちゃうのはうううん。
そういう悲しい宿命の魔法少女なんだよってことなんでしょうけど、それなら魔法少女じゃなくても良かったじゃないか!…と思ったところで、でも、いわゆる普通の魔法少女の少女達、というか「ヒーローの背負う重い宿命、孤独」というものをあえて魔法少女で、女の子だけど、ヒーローとして、悲しい運命を背負うヒーローなんだよ魔法少女は、っていう浪漫だったのかなあ。

しかしそう考えるととても、それまでの都合のよい魔法少女に対するアンチテーゼなのだとしたらとてもフェミニスト視点の魔法少女だったわけで、それならなかなかすごいものだったのかも。
そういえば、歴史上の悲しい運命の少女達が実は魔法少女だった、という設定だしなあ。

なるほど…。深い…。

と、色々と考えてしまうとても面白いアニメでした。

追記:まどかの母が「逃げちゃえ」とか「だから大人はお酒飲んでもいい~」とかまどかの悩み相談をするシーンで割と子供と大人の線引きというか、作り手の子供への良心みたいなものがあるなあ~なんて思ったわけなんですが(ちょっとセリフが長くて説明的過ぎるというか説教臭いけども)、さやかちゃんみたいな真正面から悩んで頑張る、逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ型主人公像、もう旧来型(になってしまうのか)っていうのか、そういうのをあえて殺しちゃう事でその一歩先へ、見てる側を安心させる所はあるかもな~。
えへへっ神になっちゃうよ☆
っていうかる~いノリで全部救っちゃう。
それにしては、話をあんなに残酷にしたり、風呂敷広げる必要あったのかってツッコミたいけれど、結果的にはすごく深刻そうにみせかけてそうでもない、っていう中途半端な感じに思える気がしなくもないけれど、これは単なる好みの問題なのかな~。
ああいうシリアスシーンがあることによって、ドキドキして引き込まれたってのもあるわけだし…。
あ、それに、10話のネタバレから見てしまったってのも大きく影響ありそうだなあ。

# by wani-eigo | 2011-04-22 18:57 | その他雑記

「戦争と罪責」という本を読んだ。

何気なく、本当はもっと気楽なものを読もうと思っていた状態で手に取った本でした。
精神医学者が「世界」という雑誌に連載していたものをまとめた本のようです。

タイトル通り、戦争で「した」ことの罪の自覚という点に焦点をあてて、兵士だった人々との会話からその当時の心理とそこからの変化、そして現在はどうしているか、ということが書いてあります。

様々な立場の兵士(軍医であったり憲兵であったり、出自が裕福だったり貧乏だったり)の心理なのですが、興味深かったのは、ほとんどの人が良心との葛藤というものを経ることなく、殺した相手をモノとみなすことによって罪の意識を持たず、戦後も命令だから仕方なかったと個の責任を感じられずにいるというところ。(しかも、日本は他国の兵士に比べ、残虐行為を行った後も全く後悔や不調を訴える記述が見当たらないという所も特徴だそうで、不死身の強さだったと言えるそうです。←他国の兵士は、自分のしたことにまず恐怖や葛藤が出てくるようです。周りが何か言っても聞きたくなくなってしまう、というような方向へいく。ここが違うようです。)
それは軍国主義の洗脳によって、強くなくてはいけないという緊張感を常に維持し、それが戦後も、経済への猛進に繋がり、その子供世代へも、様々な影響がある。感情やコミュニケーションの繋がりを、どうしていいか分からず、失ってしまう。などと書いてありました。
傷つかない人間、感情の麻痺した人間を大量生産した時代がすぐそこにあった事は恐ろしいし、まだその感覚を引きずっているように思えるこの日本は、まだまだ考える事がたくさんあるなあと思いました。

私は以前、イングロリアスバスターズの感想で”国の姿勢次第で、平和な時なら残虐と言われる事をしなければならないなんて”と書いていますが、この「しなければならない」という認識が、「命令だから仕方ない」という自己弁護へつながっていくのだな、と反省しました。
日本文化の個の責任を持たず、甘えがあり、責任や罪を自覚し声をあげるものに沈黙を強いる。という所も、現代でもまだ根強く残っている気がしました。

個の責任を自覚して、国や上官の責任も問える、ということでした。
命令に反対出来るだろうか、などと強い人間でいることにこだわっていくことではなく、それだと以前と変わらぬ感情を抑圧する傷つくことのできない人間になってしまうので、そうではなく、傷つくことの出来る、相手の立場に立って考えられる柔らかい人間になっていけるといい、という締めになっています。

当時の回想があまりにもひどい事が多く、さらに思考を冷静に分析、批判しているので、なかなか読み進めるのがしんどい本でしたが(自分に当てはまるような所はしかられているような気分になります)、非常に文章が読みやすく、精神医学という観点からなのがよいのか客観的で読みやすいですし、また、自分の親族がこういった事をしていたのかもしれない、という身近な所からの自覚を持って考えることにもつながる良い本だなと思います。

# by wani-eigo | 2011-04-19 11:27 | その他雑記

運動に目覚める

wii fitが物足りないのと若干飽きてしまい、どうしようか散々迷ってから、トレーシー・メソッド マット・ワークアウト編というDVDを買ってエクササイズなるものを始めました。

こういったものは効くのかなあと半信半疑でしたが、買ったからにはとちょっとずつ進めてみました。
レビューにあった通り、確かにきつい!でもその分やりがいがありました。

最初は1チャプターやって2日休みという感じでスタートして、1ヶ月経った頃にようやく1時間全部通して出来るようになりました。
ダンベルは500mlペットボトルで代用。←でも続いたのでついに1kgダンベル購入。
始めて数日後には3の有酸素運動ダンス編を買いました。
3のダンスはハード過ぎて無酸素運動状態でしたが、とりあえず続けてみました。
でもこちらは今でもまだ2つくらい連続でやるのが精いっぱいです。振りも難しい。あとあまり足音をドタドタ立てないように飛び跳ねるのでかえって力を使っている気がします。

その間の体重は、最初にぐっと減ったものの、運動するとご飯が美味しくなって、さらに普段食べたくならないお菓子やコーラも何故か無性に食べたくなり、すぐ戻りました。
でもまあ、運動しつつご飯を制限するのは大変だしストレス貯まるから止めようと思い、どんどん食べていました。
それでも食べ過ぎても増えはしなかったので、運動が効いているのかなあ~という感じです。

ただ体が筋肉で堅くなったなという実感はすごくしました。
それで、犬の散歩の時に試しに走ってみたら、思ったより軽く走れて「あれ?これは…ごくり」という事で最近、スロージョギング+ウォーキングを始めました。

結果的にトレーシー1で1ヶ月かけて筋肉を作った所(まだまだ足りないか)なので、これから有酸素をもうちょっと増やしていくと体重も落ちていくのかもしれません。
これが意外と(本当にこんなに続いたうえ、ジョギングまで続きそうだなんて信じられません)楽しくなってきまして。
運動が面倒でなくなってきたので、食事量を見直していこうかなあと思い始めました。
すこ~しずつ、ゆる~くゆる~く出来るだけ続けていこうと思います。
でもスポーツウェアなんかを見て欲しくなったりしていて、かなりのめり込み始めている気がします。いけない…ガーッと燃えると続かないので我慢…。

トレーシーさんはあまりテンション高すぎず細マッチョでとても綺麗で、こうなりたいなあと思えたのが続いた理由かもしれません。BGMも良い感じです。
体の形や動きがマドンナに似ていて、本当にトレーナーだったんだなあと感じます。
なので時々テレビの音量を下げてマドンナのコンフェッションズ・ツアーのCDをかけながらやっています。

# by wani-eigo | 2011-04-14 22:10 | その他雑記

< 前のページ 次のページ >