”何も伝えたいものがない”でもいい
2011年 08月 22日
アンディ・ウォーホルの死後に彼についての色々な人のインタビューをまとめたというドキュメンタリー映画を随分前に見たんですが(なんというタイトルだったか忘れてしまい、調べても確信が持てませんでした。)、その中で本人の映像で作品の意味について尋ねられて「何もないよ。伝えたいものは何もないんだ」と言いきっていたのを見て衝撃を受けました。
この映画では、ウォーホルについてにこやかに肯定的に笑いながら話してくれているのは親戚のおばあちゃん達だけで、他の人達はやや批判的というか、少し距離を置いたような言い方をしていたのも印象的でした。
それはともかく、そんな事ってあっていいのかというのが目からウロコで。
作品には必ずテーマや伝えたいものがあって、個性がなくてはいけないと思いこんでいました。
その後、テレビで写真家達の対談の番組を見ていて、一人の写真家が「極力、個性をなくしたい(誰が撮ったかとかクセのようなものが出て欲しくない)」というような事を言っていて、それで、ああ、それでもいいんだと納得しました。
でも個性をなくしても写真を撮る事はやめなかったからこそ、そういう風に個性をなくしながら撮るという個性?を得たわけですから、そこはやっぱり写真が好きという情熱と努力だったのだな、と思います。
自分もそんな風に柔軟に考えていられればなあと思ったのです。
ああ、自分には何も伝えたい事がないんだなと気付いた時、これが平凡な人間て事なのかなと思ったんですけど、ある意味私は人生に満ち足りていたのかもしれません。
今思えばなんですけど、たぶん幸せに生きていたのだと思います。
それ以上、勝ち取りたいとか何か渇望のようなものがなかったんだろうな。
自信がなかったとも言えるのかもしれません。
でもそんな風に色々と振り返っていたら、自分も個性をなくして何かを描けるんじゃーないだろうか、なんて思えてきました。
気に入るものが描けないな、なんてよく思うんですけど、そんな事っていつまでたっても満足はしないものなのかもしれませんね。
そういった果てしなさのような、底なし沼のような所へ向かって努力しなきゃいけないのかと思うと嫌気がさしてしまうんですが。
こう書いてしまうと、なんて簡単で単純な事に気付かなかったのか、と思います。
この映画では、ウォーホルについてにこやかに肯定的に笑いながら話してくれているのは親戚のおばあちゃん達だけで、他の人達はやや批判的というか、少し距離を置いたような言い方をしていたのも印象的でした。
それはともかく、そんな事ってあっていいのかというのが目からウロコで。
作品には必ずテーマや伝えたいものがあって、個性がなくてはいけないと思いこんでいました。
その後、テレビで写真家達の対談の番組を見ていて、一人の写真家が「極力、個性をなくしたい(誰が撮ったかとかクセのようなものが出て欲しくない)」というような事を言っていて、それで、ああ、それでもいいんだと納得しました。
でも個性をなくしても写真を撮る事はやめなかったからこそ、そういう風に個性をなくしながら撮るという個性?を得たわけですから、そこはやっぱり写真が好きという情熱と努力だったのだな、と思います。
自分もそんな風に柔軟に考えていられればなあと思ったのです。
ああ、自分には何も伝えたい事がないんだなと気付いた時、これが平凡な人間て事なのかなと思ったんですけど、ある意味私は人生に満ち足りていたのかもしれません。
今思えばなんですけど、たぶん幸せに生きていたのだと思います。
それ以上、勝ち取りたいとか何か渇望のようなものがなかったんだろうな。
自信がなかったとも言えるのかもしれません。
でもそんな風に色々と振り返っていたら、自分も個性をなくして何かを描けるんじゃーないだろうか、なんて思えてきました。
気に入るものが描けないな、なんてよく思うんですけど、そんな事っていつまでたっても満足はしないものなのかもしれませんね。
そういった果てしなさのような、底なし沼のような所へ向かって努力しなきゃいけないのかと思うと嫌気がさしてしまうんですが。
こう書いてしまうと、なんて簡単で単純な事に気付かなかったのか、と思います。
# by wani-eigo | 2011-08-22 23:36 | その他雑記

